2017年3月5日日曜日

時間のある大人

小学三年生の女の子が、「おばあちゃん」という作文を書いています。なかなか示唆に富む内容です。子どもの持っている感覚の鋭さに目が留まります。このような内容です。
「おばあちゃんとは、自分の子どもがいない女の人のことです。おばあちゃんは、人のむすこやむすめをかわいがります。おばあちゃんには、とくに仕事がありません。としをとっているのでむりをしたり走ったりはしません。のりものがいっぱいあるゆうえんちにつれていってくれます。こまかいお金をたくさんもっています。さんぽに行くと、きれいなはっぱや虫のそばをゆっくりと歩きます。『早くしなさい』とはいいません。おばあちゃんが本をよむときは、とばしよみをしません。同じ本をなんどでもよんでくれます。だれにでもおばあちゃんがいるといいとおもいます。じかんのあるおとなは、おばあちゃんだけです。」
いかがですか。面白いと思いませんか。「おばあちゃんとは、自分の子どもがいない女の人」という定義には微笑んでしまいます。大好きなおばあちゃんのことを、自分の体験から見事にまとめています。そして、この子が求めていることは何かを表現しています。この子だけではなく、子どもが何を求めているのかを述べてくれているように思います。それは、子どものためにたっぷりと時間をとってくれる大人の存在です。硬貨を用意してくれて何度でも乗り物に乗せてくれる。早く早くと急がせない。きれいな葉っぱを一緒に集めてくれる。何度でも本を読んでくれる。飛ばし読みなんかしない。一緒にいると心が満たされちゃうのでしょう。
「じかんのあるおとなは、おばあちゃんだけです。」この言葉が心に刺さります。忙しい生活に振り回されている大人に振り回されているのが、結果的には子どもということなのでしょう。じっくりと子どもに向かい合ってあげたいものですね。